日本の駐車場業は、屋内と屋外どっちが先だった?
1922年、ルノー車を輸入販売していた水嶼峻一郎さんが、帝国劇場の観劇客向けに隣の4階建ビルの1階で車庫兼ハイヤー業を始めたことが、日本の駐車場業の草分けとされています。
日本の駐車場業は、ビル1階の屋内駐車場から広まったんですね。
その後、水嶼さんは1929年に日本初の立体駐車場も建設。「水嶼式自動車庫」として特許も取得しました。
開業当日には、日本初の駐車場広告も新聞に掲載。ガソリンや車用品の販売、修繕などのサービス、さらに食堂まで併設されていました。